つくるということ
くやしいのです。
じぶんの作ったものなんて、どうしようもなくて、使えないってことぐらいわかってるのに、再チャレンジの機会すら、修正のチャンスすら与えられないことが、そのチャンスを逃してしまったことが。
いまできることで取り戻していくしかないのだけど。
いつかできるようになる。本当にそうだろうか。
知らないだけ。本当にそうだろうか。
いつまでたってもできないんじゃないか。
いつまでたっても作れないんじゃないか。
自分の中からなんてどんなにひねっても出てこないから、既出の素晴らしいデザインを見られるだけ見て、含めるだけ含んで、学んで、踏襲して、抽出して、
世阿弥の風姿花伝にあるように、いつか真似ていることすら忘れてしまう程の境地へ行けたらどんなにいいだろう。(←こないだテレビで見た)
最近そんなことばばかり集めている。
型にはまるということ。
他人のふんどしを履くということ。
それはサイズの合わない大きなふんどしに自分を合わせるということ。
自分を大きくしてくれるということ。
でも、もうこれ以上拡がらないのかもしれない。
どれを選んで履けばいいのか、よくわからない。
絞り出すべきものがよく理解できない。
そもそも求められているものが、自分の中にはないかもしれない。
できないかもしれない。もう何も出てこないかもしれない。
訴求力のあるもの。
7割の人を納得させるもの。
スピード。センス。
なんとなく、いいもの。
いや、でも、言い訳しようとしてるだけなんだな、きっと。
足らないと思うなら学べばいい。何を足せばいいかわからないんじゃなくて、膨大すぎて、遠すぎて、目を背けて少し逃げて考えるふりをしていたいだけなんだ。
焦りすぎてるのは、自分でもわかってる。
でも、遠回りした分、わたしには時間がなくて、ゆっくり歩いている余裕はないのです。
半年間という猶予の中で、結果を出さなければいけない。
ほんとうは脇見もしたいし、寄り道もしたい。
でも、一刻も早く前に進みたい。
答えを出さなければいけない。
単なる愚痴を書いてしまった。反省。
春だなぁ。
フライング5月病?
by ikumishikawa
| 2013-03-20 14:52
| クリエイティヴなこと